学而第一の三

子曰。巧言令色。鮮矣仁。

言葉巧みで魅力的に見せる態度は、仁が少ない。

仁は人に宿るか

仁が少ないのが、巧言令色な態度なのか、それとも巧言令色な態度を取る人なのかはっきりしないのですが、これを人とした場合、仁を保有する人が何らかの良い行いの目的で巧言令色を使った場合おかしくなるので態度にしました。

仁は最高価値とされていますが、ここまで読んだ時点では、態度に宿るのか人格に宿るのかわからないです。

おいおいわかってくるかもしれないので取って置きます。

この一節の解釈については、相手によって態度を変えることを論語が良しとするかしないかで判定可能だと考えています。もし相手によって態度を変えることが仁でないとあれば、一度でも巧言令色な態度を取る人は仁が少ないとみなすことができます。


言葉巧みなプレゼンテーション

ところで、私は業務上頻繁にフレゼンテーションを行います。プレゼンテーションにおいて、話し方や身振りを含めて態度が極めて重要であることは疑う余地がありません。もし台本を棒読みすれば私はたちまち貯金を崩す生活に突入するでしょう。同時に私たちが解決するはずであった問題は取り残され、コストあたりの生産性が低い作業が続けられることとなります。

それを否定する論語は、私が求めるコストパフォーマンスの良い、生産性の高いな世界を求めていないのかもしれません。論語は出発点の既に定められた論理を展開するものではなく、論理の出発点を定めようとする性質のものであるとして読みすすめることにします。

(追記)

巧言令色が自分から見た自分の態度なのか他人から見た自分の態度なのかわからない。