学而第一の二

有子曰。其爲人也孝弟。而好犯上者。鮮矣。不好犯上。而好作亂者。未之有也。君子務本。本立而道生。孝弟也者。其爲仁之本與。

ふたつ目にしてますます自分との関係が見えなくなって困っています。孝弟や君子などと言った用語が並び、それらの概念の理解に自信がありません。

ここが論語の冒頭部であることを考えると、用語の列挙と用例を示すことで、用語の理解を促すものと捉えられるかもしれません。

用語をそのままに訳すと、

孝弟な人は目上の人に逆らわないし、そういう人は争いごとも好まない。君子は本を大切にするが、本があって道をつくれる。孝弟な者であることが仁の本ではないか。

仁というのは人物の美徳のうちで最高のものであるようです。それを孔子の弟子である有子が言っているので、仁を持つ孔子についてのコメントとする解釈も拝見しました。

もしその解釈通りであれば、仁を持った孔子と、仁を目指すことはできるけれども仁を持つことが永遠にできない弟子たちの構図が成り立ってしまうのではないでしょうか。「巨人の肩の上に立つ」訓練を受けた私にとっては、その構図はもちろん、目上の者に逆らわないことが美徳とされることにも強い違和感があります。

巨人の肩の上に立つモデルでは、師匠は常に弟子に越えられるために存在します。師匠は人類の知識を増やし、その知識を当たり前のものとする弟子を育てることで、進歩に貢献します。その時に、師匠の見解を弟子が否定する場面が必ず来るのです。師匠を最高のものと決めてしまったら、どのように進歩させれば良いのでしょうか。

学而第一の一でも研究と人格について触れられていましたが、もし学而第一の二で言うところの目上の者に逆らう行為や、争いごとを起こす行為が、研究内容についても同様に扱われるものであるなら、師匠はルールとして君臨し、彼の時代に解決されなかった問題は未来永劫解決されません。

だんだんと師匠をよいしょする弟子に見えてきてしまいました。とはいえ、この一節を通じて論語の世界で価値が高いとされるものの名前を知ることはできました。